職場の人間関係に疲れると、こんな言葉をよく見かけます。
「気にしすぎない」「割り切る」「一人の時間を作る」
どれも間違いではないと思います。でも私には、どれもしっくりきませんでした。
「気にしないようにしよう」と思うほど、余計に気になる。割り切ろうとすればするほど、割り切れていない自分が出てくる。
この記事では、私が実際に「やめたこと」を3つ書きます。アドバイスではなく、体験談です。同じように疲れている方の、何かしらの参考になれば幸いです。
職場の人間関係に疲れるのは「気にしすぎ」のせいではない
まず、一つ確認しておきたいことがあります。
同じ職場で、同じ上司のもとで、同じ仕事をしている。それなのに、ある人は平気そうに働き続け、ある人は少しずつ消耗していく。
この差を「メンタルの強さ」や「気にしすぎかどうか」で説明しようとすると、どこかおかしくなります。
私が今振り返って思うのは、人によって「受け取っている情報の量と重さが違う」ということです。
上司の一言「これ、どうなってる?」を、確認として受け取る人もいれば、叱責の前触れとして受け取る人もいる。言葉は同じでも、脳の中で立ち上がる意味が違う。
これは性格の問題でも、根性の問題でもありません。これまで生きてきた環境の中で、そう処理するように最適化されてきた結果です。
「気にしすぎ」という言葉は、結果だけを見て原因を説明した気になっているだけだと、私は思います。
そのうえで、私が実際にやめたことを書いていきます。
やめたこと①:その人をなんとかしようとすること
職場にいました。マウントをとってくる人、圧力をかけてくる人。
特に嫌だったのは、プレゼンや報告の場面で急に表情・態度・言葉遣いが変わり、圧をかけてくるタイプの管理職でした。普段の雑談では穏やかなのに、「役職モード」に切り替わると別人のようになる。
そういう相手に対して私がとっていた行動は、言い返すことでも、論破することでもありませんでした。
固まる。そして、できる限り関わらないようにする。
「穏便に済ませるにはどうするか」という思考回路が自動的に動く。ビジネス上は不利だと自覚しながら、それしかできませんでした。
最初のうちは「うまく言い返せばよかった」「もっとうまく立ち回れれば」と考えていました。でもあるとき、その考え方をやめました。
その人をなんとかしようとしても、できることはほとんどない。できるのは、その人と関わる頻度を減らすことだけだと気づいたからです。
これは諦めではありません。「変えられないものを変えようとするのをやめた」というだけです。
やめたこと②:「理解してもらおう」とすること
メンタル的にかなりしんどい状態になっていたとき、勇気を出して上司に相談したことがあります。
その人は、決して冷たい人ではありませんでした。むしろ普段は人の感情をよく汲み取り、細かい配慮ができるタイプの上司でした。
でも返ってきた言葉は、こういうものでした。
「大変だと思うけど、今は乗り切るしかないよ」
「他の人もみんな頑張っているからね」
また、「主治医にもストレスが原因だろうと言われています」と伝えたときも、「ストレスって便利なようで不便な言葉だよね」という返答でした。
明確に否定されたわけでも、責められたわけでもない。でも、理解されていないということは、はっきり分かりました。
そのとき私が感じたのは、「この人に分かってもらえないなら、やっぱり自分が弱いだけなのかもしれない」という気持ちでした。人の感情を読み取るのが上手い優秀な人が、それを言うのだから。
今振り返ると、この構造はとてもやっかいでした。
人として優れていても、メンタル不調を理解できない人はいます。出世するほど、深く追い込まれた経験がなく感覚的に分からない人と出会う可能性が高くなる、という構造もあると思います。
「理解されない=自分が足りない」ではありません。
そのことに気づいてから、誰かに理解してもらおうとすることをやめました。理解されなくても、しんどいものはしんどい。その事実は変わらない。
やめたこと③:家に帰ってから一人で反省会をすること
職場で嫌なことがあった日、家に帰ってからも頭が止まりませんでした。
「あーすればよかった」「こう言えばよかった」「あの一言はどういう意味だったのか」
何かに集中しているとき以外は、ほぼずっとその状態でした。朝起きた瞬間から、嫌な相手の顔と言われた言葉が浮かんでくる。
奥さんに話したこともあります。でも、職場の微妙な力関係やニュアンスは、言葉にして伝えるのが難しい。話すと少し楽になるけれど、ぐるぐるは止まらない。
「吐き出せても、ぐるぐるは止まらない」という状態が、長い間続きました。
やめようとしてやめられるものではありませんでした。でも、一つ意識するようにしたことがあります。
「これは反省ではなく、ただのループだ」と認識すること。
反省には意味があります。でも、同じ場面を何度も繰り返し再生して別の答えを探すのは、反省ではなくループです。ループだと気づいたとき、少しだけ自分を責めるのをやめられました。
完全には止まりませんでした。でも、「またループしている」と気づけるだけで、少し違いました。
そもそも、消耗する量が違う
ここで一度、整理したいことがあります。
同じ8時間働いていても、「8時間働いている人」と「8時間+常時警戒で消耗している人」では、使っているエネルギーの量がまったく違います。
踏ん張れる人が見ている世界は、多少のミスは流せて、人の感情は切り離せて、評価と人格を分けられる構造になっている。
一方、職場の人間関係で消耗しやすい人が見ている世界は、刺激の意味を深く拾い、感情や空気が情報として入ってきて、人間関係と安全が強く結びついている構造になっている。
どちらが正しい、ではありません。最適化の方向が違うだけです。
後者が先に限界を迎えるのは、根性の問題ではありません。使っているエネルギーの量が、そもそも違うのです。
「自分だけなぜこんなに疲れるのか」と思っている方に、まずこのことを知ってほしいと思います。
抜け出せたのは「やめた」からではなく「離れた」から
正直に書きます。
「やめたこと3つ」を書きましたが、これらをやめたからといって、職場での消耗がなくなったわけではありませんでした。
ぐるぐる思考が完全に止まったわけでも、マウントをかわせるようになったわけでも、理解されない悲しさがなくなったわけでもない。
本当に状況が変わったのは、異動・休職・転職によって、原因そのものから離れたときでした。
ぐるぐるが起きにくい環境に移ったとき、初めて「朝起きて嫌な顔が浮かばない」という状態になりました。
これは自分のぐるぐる思考という性質をどうにかしたわけではありません。自分と環境の「相性」の問題だったのだと、今は思っています。
「3つをやめれば楽になる」と言いたいわけではない。でも、やめようとした過程で「自分がどういう状態にあるか」を少しずつ把握できた。それが、次の一歩を考えるきっかけになりました。
まとめ:疲れているあなたは、弱くない
職場の人間関係に疲れているとき、「自分が弱いのではないか」「気にしすぎなのではないか」と思いやすい。
でも、それは違います。
消耗しやすい人は、それだけ多くの情報を受け取り、それだけ多くのエネルギーを使っている。弱さではなく、その人の性質です。
私がやめた3つのことは、どれも「自分を責めるのをやめる」という方向のことでした。その人をなんとかしようとする自分を責めるのをやめる。理解されなかった自分を責めるのをやめる。ループしている自分を責めるのをやめる。
完全にはやめられなかった。それでも、少しずつ方向が変わっていきました。
今、職場でしんどい思いをしている方に届いてほしいと思います。
職場の人間関係のしんどさ、休職や転職への迷い、ぐるぐると止まらない思考。こういった悩みを、私はCoconalaでお聞きしています。
休職・転職を経験したHSS型HSEエッセイストとして、「うまくアドバイスする」のではなく「ちゃんと聴く」ことを大切にしています。テキスト相談・電話相談どちらでも対応しています。よければのぞいてみてください。
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