朝、目が覚めた瞬間に「今日は行きたくないな」と思う。
それでも起き上がって、支度をして、いつもの電車に乗る。
私は、この朝を何年も繰り返していました。
そして最後は、適応障害と診断されて半年間休職しました。
「会社に行きたくない朝」で検索すると、乗り切るための方法がたくさん出てきます。私もそれを読んでいた一人でした。実際、いくつかは効きました。
ただ、いま振り返って思うのは、少し違うことです。
乗り切れてしまったことが、私が休まなかった理由そのものでした。
この記事では、乗り切り方ではなく、乗り切り続けた先に何が起きたかを書きます。私の場合の話なので、当てはまるかどうかは読んで確かめてもらえたらと思います。
※この記事は私の体験に基づくものです。心身の不調について診断や治療の判断を行うものではありません。気になる症状があるときは、医療機関にご相談ください。また休職や退職の制度は勤務先の就業規則によって異なります。
会社に行きたくない朝は、めずらしいことではありません
まず、前提から。
会社に行きたくないと感じること自体は、特別なことではないと思います。
月曜日の朝がつらい。連休明けが重い。苦手な人と話す予定がある日は、前の晩から気が進まない。
私の周りにも、そういう話をする人はふつうにいました。話しながら笑っていたし、次の日には普通に働いていました。
だから「行きたくない」という気持ちそのものは、危険信号にはなりません。
問題は、そこではありませんでした。
私の場合、その朝が終わらなかったことでした。
私の場合、その朝が何年も続いていました
正確に何年何ヶ月とは言えません。
ただ、数週間とか数ヶ月という単位ではありませんでした。年単位です。
朝、行きたくないと思う。それでも行く。帰る。寝る。また朝が来る。
これが日常でした。日常になっていたので、異常だとも思っていませんでした。
体のほうには、いくつか出ていました。
頭痛と、胃の痛みです。
毎日ではありません。でも、思い出せる程度には繰り返し起きていました。
そのとき私が何をしたかというと、市販薬を飲んで出社していました。
頭が痛いのは寝不足だから。胃が痛いのは食べすぎたか、飲みすぎたか。そういう説明を、そのつど自分でつけていました。
いま思えば、その説明はどれも「会社に行かない理由」にならないように作られていました。
行かない理由を、自分で潰していたわけです。
ちなみに私の場合、涙が出ることはありませんでした。朝、起き上がれなくなることもありませんでした。
これは後から効いてきます。
それでも休まなかったのは「行けていた」からでした
なぜ休まなかったのか。
長いあいだ私は、自分の異変に気づけなかったからだと思っていました。鈍感だったのだと。
でも、正確にはそうではありませんでした。
疲れていることには、気づいていました。
気づいたうえで、休むほどではない、と判断していました。
その判断には、材料がありました。
出勤は、できている。
仕事も、効率は落ちたけれど止まってはいない。
同僚とは、笑って話せている。
つまり、まだできている。できているなら、休む理由がない。
私が使っていた物差しは、「できているかどうか」でした。
この物差しには、決定的な弱点があります。
できなくなるのは、いちばん最後だということです。
限界のサインを紹介する記事はたくさんあります。私も何度も読みました。
朝、起き上がれない。涙が止まらない。簡単な文章がもう作れない。
どれも本当にサインだと思います。実際にそうなっている方は、休んだほうがいいと思います。
ただ、並べてみると気づくことがあります。これらは全部、もう何かができなくなった状態です。
起き上がれない。止められない。作れない。
この物差しは、機能が落ちてから反応します。
だから、まだ動けているうちにチェックリストを開いても、当てはまらないのは当たり前でした。そして当てはまるようになったときには、もう機能が落ちている。
私が涙も出ず、朝も起き上がれていたのは、大丈夫だったからではありませんでした。まだ最後まで行っていなかっただけでした。
自分の限界の気づきにくさについては、別の記事でもう少し詳しく書いています。
HSS型HSPがキャパオーバーする本当の理由|限界に気づけないまま休職した私の話
よく紹介される乗り切り方を、私もやっていました
ここが、この記事でいちばん書きたいところです。
「会社に行きたくない朝」の対処法として、よく挙がるものがあります。
- 睡眠をしっかりとる
- 朝日を浴びる
- 終業後に楽しみを用意する
- 好きな服を着る、好きな音楽を聴く
- 思い切って有給を使う
私も、だいたいやっていました。
そして正直に言うと、効きました。
金曜の夜に飲みに行けば、土曜の朝は少し軽くなりました。日曜にしっかり寝れば、月曜はなんとか動けました。有給を1日はさむと、その週は持ちました。
ここで話が終われば、いい記事だと思います。対処法が効いて、無事に乗り切れた、と。
でも、私の場合はそうなりませんでした。
効いたから、続いてしまいました。
乗り切る方法が増えるほど、翌朝また行けてしまいます。行けてしまえば「できている」ので、休む理由はまた消えます。
週末で回復して、平日で削られて、また週末で回復する。この往復を、私は年単位で続けました。
回復しているように見えて、実際には削られる量のほうが少しずつ多かったのだと思います。
対処法が悪いと言いたいわけではありません。どれも意味のあることだと思っています。
ただ、対処法は「行けるようにする」ためのもので、「行くかどうかを決める」ためのものではありませんでした。
私はその2つを、混ぜてしまっていました。
「まだ大丈夫」は、踏ん張っている最中に出てくる
では、まだ動けているあいだの自分は、何で測ればよかったのか。
多くの場合、ここで使うのは自分の感覚だと思います。
しんどいけれど、まだやれている感じがする。つらいけれど、耐えられている気がする。
私も、その感覚を根拠に「まだ大丈夫」と結論を出していました。
ただ、この感覚のほうにも落とし穴があるようなんです。
ストレスについて、古くから知られている考え方があります。ハンス・セリエという生理学者が1930年代に整理した、汎適応症候群と呼ばれるものです。
人が負荷を受け続けたとき、体は3つの段階をたどるという見方でした。
最初は警告反応期。急にかかった負荷に、体が驚いて反応する時期です。
次に来るのが抵抗期。ここが重要なところです。
この時期、体は負荷が続くことを前提に態勢を組み替えます。ホルモンを動員して、耐えるモードに入ります。
すると外から見たその人は、落ち着いて見えます。そして本人も、落ち着いていると感じます。最初のころのしんどさが、少し引いたようにさえ感じられる。
慣れてきた、という感覚に近いかもしれません。
でも実際に起きているのは、慣れではありません。総力を挙げて踏ん張っている状態です。
そして踏ん張っているあいだ、持ち出しは続きます。使えるものを使い切ったところで、次の段階が来ます。
疲憊期。動けなくなる時期です。
ここまで並べると、見えてくることがあります。
限界が「ある日突然」に見えるのは、疲憊期しか目に見えないからだと思います。その手前には、長い抵抗期がありました。
そして抵抗期のあいだ、本人が感じているもの。それが「まだやれている」でした。
つまり、こういうことになります。
「まだ大丈夫」という感覚は、大丈夫であることの証明ではない。むしろ、いちばん踏ん張っているときにこそ出てくる。
これを知ってから、当時の自分の判断が少し違って見えるようになりました。
判断が甘かったのではありませんでした。判断に使っていた材料のほうが、耐えている最中に作られたものだった。
そう考えると、真面目に自分を点検するほど「まだ大丈夫」に着地してしまうのも、無理はなかったのだと思います。
そもそも「休む」が選択肢に並んでいませんでした
もう一段、手前の話があります。
私はそもそも、「休む」という選択肢をまともに検討していませんでした。
妻がいて、子どもがいます。生活は私の収入で回っていました。
その状況でも、しんどい日には「休む」という言葉がふっと浮かぶことはありました。まったくなかったわけではありません。
でも、そこから先に進みませんでした。浮かんだ瞬間に、消えていました。
休んだら、どうなるのか。いくら入ってくるのか。どのくらいの期間なら持つのか。
そういうことを、一度も調べていません。調べようとすら思いませんでした。
いま思うと、これは判断の甘さとは少し違う気がします。
比べるためには、並べる必要があります。続けるか、休むか。その2つが並んで、はじめてどちらがいいかを考えられます。
でも当時の私にとって、「休む」は最初から並んでいませんでした。だから、迷ってすらいなかったんです。
「まだ大丈夫」という結論は、2つを比べた末に出したものではありませんでした。比べる相手がいない状態で、ただ1つ残っている道を確認していただけだったのだと思います。
それと、十数年働いてきた経験も、判断を狂わせたのだと思います。
それなりに大変な時期は、これまでにも越えてきました。だから今回も越えられるはずだ、と。
過去に乗り越えた経験があるほど、この判断は強くなります。年数を重ねた人ほど休まないのは、根性の問題ではなく、材料がそろってしまうからだと思っています。
休むと口に出せなかったときのことは、別の記事に書きました。
休職を言い出せないあなたへ|切り出せなかった私と、もし拒否されたときの話
私は行けなくなる前に、診断書をもらいました
ここが、私の場合の結末です。
私は、朝起き上がれなくなって休職したのではありません。会社の前まで来て入れなくなった、というような日もありませんでした。
まだ行けているうちに、診断書をもらって止まりました。
これは、自分で偉かったと言いたい話ではありません。むしろ逆です。
年単位で削られたあとの、ぎりぎり最後のタイミングでした。もう少し遅ければ、たぶん本当に動けなくなっていたと思います。
それでも、この順番だったことには意味があったと思っています。
限界まで行ってから止まると、休むかどうかの判断を、いちばん判断力が落ちた状態でやることになります。
実際、休職の前後の私は、簡単なことも決められませんでした。その状態で「休むべきか」という大きな判断ができたとは思えません。
よく言われる「限界が来たら休みましょう」は、正しいと思います。
ただ、限界が来たときには、休むと決める力のほうも一緒に落ちています。
だから私は、限界が来る前に止まるしかなかったのだと、いまは思っています。
受診したときのことも、書いておきます。
私は医師に、うまく説明できませんでした。「行きたくない」以外の言葉が、なかなか出てきませんでした。
それでも診断書は出ました。話が整理できていなくても、受診してよかったと思っています。
そのときのやりとりは、別の記事にまとめてあります。
休職の診断書のもらい方|精神科の初診で、私が医者に伝えたこと
休職そのものについては、受診から復職・退職までの流れをまとめた記事があります。
適応障害で休職することになったら|受診から復職・退職までの流れを経験者がまとめました
明日の朝も、行きたくないと思っている方へ
ここまで書いてきて、救いのない話に聞こえたかもしれません。
チェックリストは間に合わない。自分の感覚も当てにならない。それなら、どうすればいいのか。
私が休職したあとにたどり着いたことは、2つです。たいしたことではありません。
1つは、疲れを感じていなくても、休む時間をあらかじめ決めておくことでした。
感覚が「休むほどではない」と言ってきても、それを判断材料にしない。決めた時間になったら、感覚と関係なく止める。
もう1つは、調子がいいと感じるときほど「いまは赤信号かもしれない」と一度疑ってみることでした。
どちらも、やっていることは同じです。自分の感覚を、判断の根拠から外しています。
ずいぶん自分を信用していないなと思います。実際、そのとおりです。
ただ、感覚が当てにならなくなる仕組みがあるのなら、感覚以外のところに判断を置くしかありません。
そう考えると、これはそれほど悲観的な話でもない気がしています。
それに、踏ん張れること自体は悪いことではないと思います。負荷がかかったときに耐えられるのは、体の機能です。そのおかげで乗り切れた時期は、たぶん誰にでもあります。
ただ、その機能は、あとどれだけ踏ん張れるかまでは教えてくれません。教えてくれないまま、踏ん張れているという感覚だけを返してきます。
最後に、1つだけ。
いま「自分は大丈夫だ」と判断している方は、たくさんいると思います。私も、その一人でした。
その判断の根拠が「まだ行けているから」だとしたら。
その「行けている」は、余力が残っているから行けているのか。それとも、余力を使い切って踏ん張っているから行けているのか。
この2つは、内側からだと見分けがつきません。
だから、休むかどうかを決める手前でできることが1つだけあるとすれば、それは自分の「大丈夫」を、自分だけで判定しないことなのかもしれません。
職場の人間関係がしんどくて朝が重い、という場合の話は、別の記事に書いています。
そして、休職という判断そのものを振り返った記事もあります。
休職しなければよかった?半年休んで退職した私が、いま思う後悔の正体
朝、行きたくないと思いながら通い続けていること。休むかどうかの迷い。ぐるぐると止まらない思考。こういった悩みを、私はCoconalaでお聞きしています。
休職・転職を経験したHSS型HSEエッセイストとして、「うまくアドバイスする」のではなく「ちゃんと聴く」ことを大切にしています。テキスト相談・電話相談どちらでも対応しています。よければのぞいてみてください。
もう少し自分のペースで理解を深めたい、という方には、私がこれまでの経験をまとめた本もあります。メンタル不調と職場の関係を、もっと整理したい方へ。

※この記事は私自身の体験と、そのときに調べたことをまとめたものです。診断や治療について判断するものではありません。体調に不安があるときは、医療機関にご相談ください。休職の可否や期間、手当については勤務先の就業規則および加入している健康保険によって異なります。実際の手続きは、勤務先の担当部署や公的機関にご確認ください。

